三木俊彦について”アレコレ

目安時間:約 27分

コーチになった「きっかけ」とコーチングへかける「思い」。

”元々、本を読む習慣がない人間だったのですが、人生経験を重ねて思うところもあり、二十代後半から周りの薦める本など少しずつ手にするようになりました。   そうして色んな本を読んでいるうちに、ある時、苫米地博士の本と出会ったのです。   たしか「脳と心の洗い方」という本だったと思います。   それを手にとって読んだ時、 「この著者は書いてあることが 他の人とぜんぜん違う! という衝撃を受けました。   ほんと書き表せない程の衝撃で、 頭の中をひっくり返された 感じです。   「本は人さらい」と言いますが、 まさにさらわれちゃいましたw。   僕はジャズという音楽を やっているので、 大概のことは動じないのですがw、 博士の本は本当に衝撃でしたね。   それ以来、博士の本をほとんど全て 読むことになりました。   勿論、 並行していろんなジャンルの本も 読み続けていましたが、 博士の本に出てくる コーチングという言葉に 惹かれるようになりました。   そして、「セルフコーチングが しっかりできるようになりたい! と強く思うようになりました。   生来の「やるならとことん」精神 が発揮され、 「どうせ学ぶなら 認定コーチ養成講座で 学んでやろう!」 と申し込むことになりました。   講座で学ぶうちに、 どんどん激変していく自分 に驚きました。   そして、   「こんなすごい変革のツールを 自分の中だけにしまっておくのは もったいない。 色んな人に利用してもらって、 自由で楽しい毎日を 過ごしてもらいたい!   ということでプロコーチとして 活動することになりました。   しかし、 それまでミュージシャンとして 生きてきたので、コーチとして 活動することに大変な違和感 がありました。   活動する中で、時折、 「俺何やってんだろう?」 って思うこともありました。   これは、 いわゆるコンフォートゾーン がずれたことによる 「ホメオスタシスの フィードバック」 ってやつです。   ですが、クライアントさんたちが 当初は思い悩んでいる様子なのが、 セッションを重ねるごとに   ・笑顔が増えて元気になっていく   ・やりたいことを見つけて どんどんチャレンジしていく   ・今まででは、あり得ない成果 を出していく   ・周囲の人の信頼を勝ち取り、 憧れの存在となっていく   そういった姿を見て 一人の人間として 本当に嬉しくなりました。   そして、 音楽をやっている時と同じくらい やりがいを感じるように なりました。   今まで楽器以外のことは すぐに飽るし、音楽のことだけ 考えて生きてきたので、 このことは自分の中で本当に 衝撃的なことでした。   僕はコーチングで 「まさに現状の外へ飛び出した」 のです。   苫米地式のコーチング理論は 計り知れない効果があります。   「こんなに人って簡単に変わる ことができるんだ!」 と、プロコーチになった今でも 驚くことがあります。   そして、 その度にコーチとして 人間の持つ無限に感動します。 変われることの感動を伝えたい。 共有したい。 自信を失って路頭に迷っている 人に、そんなことないですよ、 マインドの使い方次第なんです! 「全力でサポートするから、 一緒にもう一度チャレンジ してみませんか?」 と 諦めることから違う方に 目を向けるきっかけを作りたい。 そう思っています。   コーチとして、 また、 ジャズメンとして、 両方どんどん活動して、 「幸せ・自由・夢を掴む 人間で溢れる社会」 にしていきます。”

趣味

”ミュージシャンなので 音楽を聴くことはもちろん、 他の楽器の触ったりします。 ピアノちょこっと、 ウクレレ猛特訓中! もうすぐ一歳になる姪に ジブリの曲を 弾いたりしてますが、 切ない曲が多いなーって 思ってます。 (ナウシカや、もののけ姫。 トトロとかももちろん 弾いてますっ)   音楽の他に、 アメリカンヴィンテージの食器 ファイヤーキングや パイレックス、ヘーゼル アトラスなど ミッドセンチュリーの ミルクガラスのマグカップなど 収集しています。   製造当時の様子に想いを 馳せながら、お茶を楽しむこと は、僕にとって至福の ひと時です。   あと、 写真もちょこちょこ 撮ったりしています。   そんなにいいカメラではない けれど、ミラーレスのカメラで その場の情景をどう切り取る のか考えながら撮ることは 一種の瞑想行為であり 格別のひと時です。” さらに、 こんな変な趣味も。。 「無理難題、無茶振りに応えること!」 これは、まさに"根っからのコーチ 気質"とも言えますが、僕は昔っから 人が 「できない!」 「ムリ!」 と、さじを投げてしまうことを 何とか出来ないか??と、考える のが好きだったように思います。 サックスでも、当初僕はチョー 下手くそでしたが、 「どないかして上手くなってやるー!」 と、ハングリー精神でプロになっちゃ いましたし笑、 コーチングの講座では、文章を書く ことが全くできずノイローゼになり かけたのに(笑)、今はこうやって毎日の ように情報発信をしている。。 そして、クライアントが根を上げそうな ほど苦しんでいるのをコーチング マインドをフル活用してゴールに導いて いる。 クライアントの悩みは、途方も 無いものが多いです。 まさに無茶振りと言えますが、 コーチングマインドのキモである 根拠のなく自信を持つ、「できる!」 と思うこと。 ゴールが先の精神でどんどん 打開しています。 これを読むあなたの「無茶振り」にも どんどん答えていきまっせー!!
 

家族

”奥さんと二匹の猫との 四人?暮らしです。   うちの奥さんは ヨガのインストラクター、 先天性共感覚者です。   よくお茶に出かけますが、 二人で時が経つのも忘れて あれやこれや くっちゃべってます。   彼女は元々、音大の先輩で 作曲専攻。 なので「全体」をとらえるのが すごく上手。   発想もぶっ飛んでいてwww、 毎日楽しいです。   そして、 二匹の猫は、 「ヴィシュヌ」と「ラーガ」 という名前です。   ビビリだけど気は優しい オスの黒猫「ヴィシュヌ」。   そして、とても頭が良くて おてんばなサビ猫「ラーガ」。   二匹はすごーく仲良しで、 いつも癒されてますwww
うちの奥さんです。 幻想的な写真。。 撮影は僕。
ヴィシュヌ
爆睡中w
ラーガ
まどろんでます。
※随時更新していきます。
 

持ってる資格

以外といろいろ持ってます〜。  
  • 苫米地式認定コーチ
  • 宅地建物取引士
  • 簿記二級
  • 普通免許
   

これまでの人生でやめたもの。。

  • タバコ
それまで1日一箱は吸って いましたが、24歳の時に 胆石になり2週間入院しました。 で、退院後、タバコを吸うと 「なんじゃこら!まずー!!」 と、味に堪えきれず 速攻で吸わなくなりました。   その後も、酒の席などで たまに吸ってみるものの、 翌朝のタバコ臭さが堪えきれず すっかり止められました。  
  • 太っている自分
これも胆石がきっかけ。 入院は、実は緊急入院で 手術日までの五日間、 点滴のみの絶食状態に。。 その間に一気に10㎏以上 体重が落ち、退院時には 履いてきたジーパンが ゴソゴソに。 元々、80㎏近くあったので 「これがチャンス!」 と、ストレッチなどで さらに減量成功! 今は体脂肪率11%の スリムボディ!!  
  • お酒
2011年に、苫米地博士の 「東日本大震災なのに、 酒を飲んでる場合じゃない!」 という一言。 さらに、 クロックサイクルを 落としたくないこと。 さらにさらに、 毎日二日酔いで 辛かった。。 などが理由としてあります。   で、ある日キッパリやめました。 それ以降、一口も飲んでません。 やめてみると、 「こんないいものはない!」 と、二日酔いのない快適生活に。。   元々、毎日浴びるほど飲んでました。 うちの奥さんが、僕と結婚したのは、 「自分より酒が強くて、 ベロベロでもうちまで 連れて帰ってくれるから」 とのこと。   やめてからは、 「自分が飲んでても車で連れて 帰ってくれる!」 と、喜んでまする。  
  • 砂糖菓子
甘いもの好きの僕が、 果たしてやめられるのか? と実験的に行うことに。。 やめて数日は禁断症状 (日に何度も、無性に甘いものが 欲しくなる)がでました。 しかし、一週間くらいすると、 全く欲しくならなくなりました。 で、試しに食べても、、 「まず!!」 「なんでこんなもん一生懸命、 ありがたがって食べてたんや!」 と、美味いと思ってたのは、 ただの思い込みと気づくことに。     そう。     これらは、すべて思い込みなのです。     中毒性が強いので、 自分の嗜好だと勘違い させられていたのです。   そして、 その思い込みは 「コーチングマインド」で 簡単に抜け出すことができます!! そうそう、 これ忘れてた、、
  • Have toの人生
これもやめましたね! 毎日がめちゃめちゃ 楽しくなりました。 これ超おすすめね!!笑   次は何をやめよっかなーーーww    

三木俊彦の半生

 
ではここで、 僕のこれまでの歩みを 綴っていきたいと思います。 長くなりますが笑、 興味あればお読みくださいね〜っ
小さい頃
僕は、神戸市長田区と須磨区の 間の新長田〜板宿の辺りという、 いわゆる「下町」で育ちました。   男三人兄弟の次男で、片親の家庭。   母親が三ノ宮で小料理屋を 営んでいました(最初はスナック)。       子供の頃の僕は、  
  • わがまま!
  • 泣き虫!
  • 偉そう!
  という三拍子揃った、典型的な   「ややこしい子供」だったと思います。   実際、幼なじみや同級生、先輩後輩 などと年末年始やお盆の集まった 時に、   「三木はだんだん大人になって いったけど、子供の時とか ほんまひどかったよな! わがままで手がつけられへん かったわー!」   とよく言われます。     小学校上がる前とかは、 遊んでて友達にムカついたら、、   自転車で突っ込んで行ったり、   怒り出したら止まらなくて、   暴言吐いたり、   露骨に態度に出したり、、 (ある家族写真では、 僕がすねまくって 機嫌の悪い顔が写っていて、 後から見て、ヒドイなーって 思った記憶があります。)   という、 「どうしようもない アホなヤツ」 でした。     あと、   「ケンカばっかりしてたなー!」   とも言われます。   自分からちょっかい出して、   嫌がられたらキレる。   という、どうしようもない 子供でした。     そういう面もありましたが、 「自分の考えを曲げない子」 でもあったと思います。   勉強は、、小学校の頃は 全然してませんでした。   なので、成績は良いはずもなく。。   というか、   「勉強しろ!」   と言われたことがなかったのです。   先ほども書いたように、 うちは片親の家庭で、 母親が小料理屋を営んでいて、 夜はおばあちゃんが面倒を 見てくれてました。     なので、 勉強を見てくれる人もいなくて、 もちろん勉強する気もなく、 テレビ・マンガに勤しむ 子供でした。   マンガは、   ドラえもん   ドラゴンボール   キン肉マン   北斗の拳   聖闘士星矢   などなど、 ジャンプやコロコロコミック で読んでいて、   テレビは、 いわゆるバラエティ番組や   ドラマを見まくっていました。   その時の自分が、まさか、   「コーチになる」   とは想像もしてなかったし、   「テレビは見てはいけない!」   と、言うようになったり、、。   人生って不思議でほんま面白いなー! って思います。   小学校のクラブ活動は、   理科部、   将棋部、   などめちゃめちゃ「文化系」でした。   運動は、 あまり得意ではなかったかも。。   走るのは早かったけど、 そんな飛び抜けてはいなかったし、 少年野球に入ったけど、 毎週日曜に練習があって、 当時やってた朝9時に放映してた キン肉マンとかぶっていて、 朝起きるのも苦手だったので、 なし崩し的にやめてしまいました。   このせいなのか、少年野球に 所属している同級生からの 風当たりはキツかった ように思います。   ホント   「教育」   というものがなかったです。     字の書き順はむちゃくちゃだし (実は今でもよく間違える。。)、   歯磨きの習慣がないから 寝る前にコーラ飲んで そのまま布団に入るし (おかげで今は銀歯だらけ!)、   感情のコントロールは まるでできなかったし、、。   という、 「愚かでいい加減な子供」 でした。   親の責任と言ったら それまでかもだけど、   母親は女手一つで、 男か三人育ててたのだから、 文句は言えないなーって 感じですね。     こんな感じで来てましたが、 小学校6年の時に出た 音楽会がキッカケで、 僕の人生は、まさに   「大きく変わる」   ことになるのです。、  
音楽なんか大っ嫌い!!
突然ですが、、、   ぼくは音楽が大っ嫌い!! でした。。   今でこそプロミュージシャンに なって20年、 ソロデビューしたり、 メジャーアーティストの レコーディングに参加したり、 国内外のジャズ フェスティバル にも出演して、 さらに全国各地でも演奏 していますが、 最初は「大っ嫌い!!」でした。     なぜかというと、、   「ミートボール」というあだ名の 小太りで、一見温厚そう。 なのにヒステリックで 気性が荒くすぐに怒り狂う 音楽の先生に 無下に扱われたから です。   ぼくは、 ピアノとかの音楽教育を 受けたことがなかったので、 譜面の読み方なんか一つも分からず、   ましてや、音感なんかも全く なかったので、   確か小二くらいの時だったと 思いますが、 ミートボールに質問したら、   「なんでこんなん分からへんの!」   という感じて頭ごなしに 叱られたからです。   子供なので、 それ1発で音楽が大っ嫌いに なりました。   というわけで、 小学校の音楽会は とてつもなく嫌な場所で、   リコーダーなんか指使いさえ 分からずみんなと全然違う指を 押さえて吹いたフリを してました。   (※これは写真にハッキリ 残ってます。   またネタとして公開 しましょう!)   そんな調子で、 嫌々やり過ごしていた 音楽会でしたが、 小六の時になぜか 鍵盤ハーモニカの担当に なりました。   当時仲の良かった友達も 同じパートだったのもあり、 遊びの延長で一緒に練習 してました。   すると、 だんだん吹けるように なっていくのです!   「なんか、 これ面白いんちゃう??」   「楽しいかも!!」   幼いながらにも 音楽に価値を見出し、 音楽会が終わったあとも   「なんか 楽器やりたいなーー!!」   という気持ちが、 ふつふつと湧いてきました。   そんなある時、 テレビかなんかで トランペットを吹いてる人を 見かけて、   「カッコいい!!   吹き姿がなんとなく鍵ハモと   似てるぞ!   やりたいなーー!」   と思い、 洗い物をしていた母親に 相談したら、、   「あかん!   そんなお金ない!」       と一刀両断。、     そうです。   うちは貧乏でした。。   うちは水商売で、 店の売り上げが悪い時は、 支払いがたまって 大変なことになります。。     ひどい時はこんなことも。。   ある日、下校時にうちの前に 人だかりができていたので 何だろうと近づくと   電話、   電気、   水道、 ガス、   その他集金の人が、 五、六人たまっていました。   その人たちをかき分けて うちの中へ入ると 電話の受話器は上げっぱなし。。   そして、 ベッドルームを見ると 母は居留守使って ふて寝ている。。   こんな有様が度々ありました。   さらに、 銀行のみならず 親戚や知人など方々にも お金を借りて、。   なので、 生活していくだけで ヒーヒー言ってました。   こんな事ではとても じゃないけど楽器を始める なんて余裕はあるはずもなく。。       そうして、あっけなく音楽への 道は絶たれたのです。     しかし、そうこうするうちに しばらくすると卒業式があり、 中学に上がり。。   入学後、 部活見学があり。。   その中学には 吹奏楽部があり。。     そう、、   再び音楽との接点を持つことに なるのです、、。   一度は 絶たれた音楽への道。 しかも、 この後すんなりと事は運ばず 一悶着あるのです。。   さて、ぼくはどうやって サックスにたどり着くの でしょうか??     (続く。)

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